東京抵抗線の歩み

退職金を投じ1トンの金属から始まった、東京抵抗線

戦争の足音が聞こえ始めた日本において、抵抗線は海外からの輸入に頼るほかありませんでした。

当時、日本海軍は抵抗線の国内製造に動き始めます。
工業系大学に通っていた飯野幸男(のちの当社創業者 写真右側)は、海軍技術研究所の学徒動員として技術研究者に登用されました。
技術者3人で国産抵抗線の製造技術開発研究を任されます。

この時代、抵抗線に対する溶解から製造に於ける技術が乏しかった為、幸男たちは、金属の溶解・混合方法、金属の検査方法すらも手探りで行う必要がありました。
現在では当たり前になりつつある細線の加工方法や抵抗の測定方法などもこの時の研究で培われました。
これらの研究成果は、今も残っている当時の研究資料から伺い知れます。
技術研究所時代に特殊金属メーカー各社に対し抵抗線の溶解方法等についての技術指導を行い、国内での抵抗線製造技術に大きく貢献してきました。

時代の中で、抵抗線製造のノウハウを日本に広めた第一人者が飯野幸男だったのです。

やがて戦争も終わり、幸男は民間企業の技術員として勤務しはじめます。
戦後、抵抗線の需要が高まりだし、抵抗線のサンプルに対する問い合わせが徐々に増えてきました。

しかし、当時の勤務先では金属をまとめて製造する必要性があった為、最低ロット1トンというサンプルとしては考えられない量でないと、販売できない問題が起きていました。
顧客に適した、量や求められる仕様に対応する抵抗線の注文を受けることができなかったのです。

問い合わせのたび、事情を説明し断わる事に気を病んだ幸男は、小ロットのニーズに対して何か出来ることはないかと考え、会社を退職し退職金を投じ購入した1トンもの材料を元手に起業します。

各メーカーのニーズに合った材料特性や線の太さなど、工業製品それぞれの仕様に適した抵抗線の製造を行い技術指導を行う今の東京抵抗線がこの時産声を上げました。

戦後の何もなかった中で、成長していこうとする起業家が現れ、そこへ東京抵抗線は抵抗部品、電熱機器用の抵抗線・電熱線の供給を行うことで、高度成長のなかでともに成長していくことになりました。
この時に部品供給を行ったメーカーの多くが、現在皆さんがよく知る大手電機機器メーカーに成長を遂げました。

取引先から教わった時代の変化を読み解く力

現代表の飯野隆幸は、大学卒業後外資系企業に就職します。

医療機器、分析機器、電子部品の製造を行う米国企業でポテンショメーター、抵抗ネットワークやHIC(ハイブリッドIC)などの電子部品を開発した世界でも有数の会社でした。

隆幸は、この会社の電子機器事業部で率先して顧客に会いながらニーズを知り、自社製品のメリットやデメリットを見つけていきます。
そして、日本国内で成長を続けていた大手企業の担当を任されます。

当時、パーソナルコンピューターが世界中を席捲しはじめたことも手伝い、隆幸は社内において世界No.1セールスを記録します。

高度成長を続ける日本の中で、非常に多くの電子機器製造に必要な知識を蓄え、現場で起こる様々な問題点を目にしどのような製品が求められているかという知識を蓄えていきます。
隆幸は、顧客の元へ熱心に通っていたことで、大手企業の担当者から仕事の進め方や提案書の書き方に至るまで多くのことを学んでいきました。

「顧客に育ててもらったサラリーマン時代だった」と当時を振り返ります。

親からの一本の電話で継いだ事業

めったに電話がかかってくることのない父幸男から、隆幸は一本の電話を受けます。

「俺もう疲れたから、手伝ってくれないか」
という言葉のみを伝え電話が切られます。

この一言が気になり隆幸は、勤めていた外資系企業を退職し、東京抵抗線の経営に乗り出します。

当時の出荷検査の方法をはじめ、東京抵抗線が行っていた業務フローはあまりにも時代遅れで、業務がシステム化されていませんでした。
そんな会社の状況を目にした隆幸は、独自の検査機器の開発に乗り出します。
社内業務のコンピュータ化を行い、より正確で厳格な製品検査システムの構築を行いました。外資系企業で培った知識を活かすことで、効率的な業務の進め方を指導し、高精度な検査システムを作り上げました。

今なお改善が繰り返えされてきた独自の製品検査システムは、非常に精密な検査ができるため当社の高品質維持に貢献しています。

身近な製品を支える抵抗線 誰かの便利のために

創業者飯野幸男が持っていた

”顧客の要望を叶えたい”

という想いは、今も東京抵抗線のビジネスの根幹となっています。

抵抗線技術を用いて、先端技術の工業製品製造を支えていくという事が、目には見えにくいが世の中をより便利により楽しくできることだと確信しています。

今も、その想いは受け継がれています。

機械化・システム化が進んだ今も、組み込まれる製品に合わせて、細かい顧客の仕様に対応し、人の手で製品を生み出しています。
非常に精密な部品製造において、従業員一人一人の熟練の技術が必要不可欠です。

抵抗線は電気自動車やスマートフォンなど、誰もが知っている、身近な最先端技術にも使われています。

これからも蒲田というモノづくりの町で、世の中のモノづくりへ貢献していきます。
東京抵抗線の高い技術力によって、高品質な抵抗線を提供しつづけます。